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《栃木真岡市》二宮尊徳(金次郎)の活躍を知る二宮尊徳資料館

まだ今の小学校には二宮金次郎像があるところがほとんどではないでしょうか?

本を読みながら歩くという行為にブーイングが起きて学校から消える?!?なんてことも話題になりましたが、

この像は金次郎の勤勉・倹約の精神を教育の象徴としたい国側の思いで全国の小学校に建立されたということです。

 日本国民全員小学校に通うわけで、だから二宮金次郎は日本一知名度が高いかもしれない人物ですよね。

その二宮金次郎は本名を尊徳(たかのり)というそうです。

現代では二宮尊徳(そんとく)と言われていますが、

そんな二宮尊徳の資料館・神社・活躍した桜町陣屋跡にお邪魔してきました。

↑尊徳像。もはや金次郎の面影はなく、身長もありガタイも良い男性だったようです。

資料館はもちろん館内無料ですが、子供連れということもあり、栃木県桜町での活躍した尊徳の短いアニメーション動画を見せてもらえました。

資料館内は子供時代の金次郎の頃の話はほとんどなく、おじさんになりつつあった頃の尊徳がこの桜町に移り住んで活躍した内容が中心です。

以下はいろんな場所から情報を得てまとめた二宮尊徳の歴史。

 

二宮尊徳の生まれは神奈川県小田原、5歳、酒匂川が洪水となり二宮家の田畑がほとんど流出→12歳、病弱な父に代わり堤防工事に参加するも子供だったので半人前でわらじ作りをした→わらじを作って売ることでお金を稼いだ→13歳、働いたお金で松を買い堤防に植えることで土手を強くしようとした→14歳、父亡くなり→16歳、母亡くなる。一家離散し伯父の元へ→17歳、夜遅くに読書をしていると油がもったいないとしかられ、自分で菜種を植えて夜の明かりを自分で確保する→捨て苗を集めて荒れ地に植えて手入れをしたところ一俵余りの米を収穫できた→18~19歳、おじの家を出て働き、稼いだお金で田畑を買い戻した→20歳、廃屋同然の生家を買い戻し→24歳、資産を増やして大地主に→26歳、小田原藩家老服部家の財政立て直しを成功させる→その後結婚したり離婚したり結婚したり→36歳、藩主の分家である下野国桜町領(真岡市南部付近)の再興を命じられる。37歳、桜町領に移り住み農村復興に取り組む→41歳、反対派ともめたりなかなか復興うまくいかず→43歳、成田山にこもり断食静思、桜町領の125人の出迎えで帰村し、その後順調に進む→47歳、作物の異変に気付きききんを予測してひえ栽培をすることで人々を救う、移住から30年間栃木県での農村復興に取り組む→67歳、日光神領の復興の命を受ける→70歳、栃木県今市(日光)にて二宮尊徳永眠。

 

資料館の隣には桜町二宮神社があります。

まさか、二宮尊徳祀られていたなんて!!!!

こちらは尊徳没後50年に桜町陣屋内に建てられたそうな、

今ある建物は場所を少し変えて昭和11年に建てられたものです。

この雰囲気、何かわからないけどタイムスリップした気分だわ。(でも昭和11年)

せっかく来たのでご挨拶してきました。

二宮尊徳を祀る神社は小田原市相模原市に二つ、日光市もあり、結構あるもんですね。

神社の左側には史蹟櫻町陣屋跡があります。

37歳で移住してこの地の農村復興に取り組む本拠地ですね。

平成9~12年の建物解体修復工事で当時の姿に復原し、かやぶきもその時に葺き替えているそうです。

資料館の駐車場に車をとめて巡ってきましたが、勉強になるし小学校に通うリリーちゃんにとって良い勉強になったのかなぁ、と思います。

また↓こちらの像の向いた先にある曹洞宗 蓮城院には遺髪を埋葬したお墓もあるそうですよ。(墓地だったので今回はやめておきました)

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