林泉寺。
ここは1497年(明応6年)、上杉謙信のおじいさんにあたる越後守護代 能景公が上杉謙信のひいおじいさんにあたる重景公の17回忌にあたり長尾家(上杉謙信の家系)の菩提所として創建されたお寺さんです。
この場所で上杉謙信は7歳から14歳まで学問を学び、禅のおしえを通しさとりを開いたとのことです。
この惣門は春日山城より移築された唯一の門。
今や春日山城は城跡となりなにもないですから、ここにその一つが移築されて大事にあるというのもロマンですね~。
られて入場すると飛び込んでくる視界がコレ。
もぅ少しでシーズンのカキツバタと山門。
太陽の光も差し込んで、なんと荘厳崇高な世界。
ここで毎日暮らしたのか、謙信公よ、とても素敵な場所だ。
山門は1925年(大正14年)に上杉謙信公生誕400年を記念して再建されたもので、飾られている「春日山」「第一義」の扁額は複製ながらも謙信の直筆です。
宝物館には本物も展示されているのでせっかく来たなら絶対見るべき!!
謙信公はここで禅を学び、禅の書跡『碧巌録』にもふれたようで、その中の逸話に登場する語句に「第一義」があるらしいのです。意味は「釈迦のあらゆる事物の心理」。
そもそも義とは行動思想道徳において「よい」「ただしい」という概念。
・・・ぅん、エリエットには「悟り」であるとか「よいことをしよう」という意味を感じ取りました。
たった今、謙信公のファンになっちゃったよ。
山門の龍はめちゃくちゃかっこいいんだよ。
本堂。
宝物館側より庭・鐘楼。
宝物館はとても見ごたえのある品々の数で、やっぱり甲冑はね感慨深いものがあったね。
そして謙信公の御墓もお参りさせていただきました。
上杉謙信公の甥 景勝がその後を継ぐこととなり、上杉家はとしてはその後関ケ原の戦いに西についたために山形の地を与えられて移動することに。
よって山形米沢にも林泉寺を似せて建てたのだそうですよ。
移動ということで謙信の遺骸・上杉家関係の文書・重宝の大半が米沢に移されたらしいのですが、
時代としてそうせざるを得ない環境だったでしょうからね、仕方ないにしても、、、。