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たくあん和尚の春雨庵






春雨庵に行きました。 
かみのやま温泉からほど近い小さな観光スポットです。
たくあん和尚 流刑の地で、春雨庵といいます。

ちなみに“たくあん”から分かるようにたくあんを考案した人であるそうです。

ちなみにたくあん和尚おもかげを残している像が内部にあります。
ここでは失礼ながらも3枚写真を撮らせてもらったのだけど、なんだかぼけたりして3枚とも不思議と表情が違うような…気のせいでしょうが。
隣りには茶室ず何部屋かあり、どれもさすが茶室だ、狭いです。

そしてなぜだか門が低くて腰をかがめないと入れません。
普通こんなもんなんでしょうか?
昔のトイレも発見しました☆

江戸幕府の厳しい宗教統制のなかで、元和法度(幕府の禁止令)や紫衣事件に抗議した京都大徳寺153世の沢庵禅師は寛永6年(1629)八月この上山に流されてきました。
当時の藩主土佐頼行は、この地に小庵を建て居住させたが、沢庵は特の外この小庵がお気に入り、自ら「春雨庵」と命名し、花鳥風月を愛でながら配流の身を慰められたと言われています。
藩主頼行も、名僧沢庵に帰依しい教導を仰ぎ、上山藩政史上顕著な治績を挙げ、領民からも名君しとして慕われました。
寛永9年7月、三代将軍家光にり赦免された沢庵し、3年間の流刑生活を終え江戸に帰られたが、この間、禅道のほか、詩歌・風流の道、水利や築庭の設計など、京都や江戸の文化を伝え、領民のためにも広範な知識を授け、城下町の発展に貢献されました。<後略>

ちなみに上山城の近くに上山藩武家屋敷通りがあるようです。
見てこなかったけど…
下調べなしだったもので…次回にリベンジ。



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